#191970

言葉はミッドナイトブルーの文字から

ALBUM

レコードプレーヤーを探していた。あの部屋で見た水色のレコードプレーヤーはトイ・ストーリーに出てくるおもちゃみたいな優しい色をしていた。同じものがAmazonで見つかるかはわからない。Amazonだから似たような物は見つかるだろう。探す努力だけはする。ただ、商品の特徴を細かく覚えていないのが致命的だ。

 

この前自室の片付けを行った際に、開封されていない薄っぺらいダンボールを発見した。片付けを一旦やめ、そのダンボールを開封してみた。すると完全限定生産盤だった星野源の「エピソード」というアルバムのLP盤が出てきたのだ。部屋のどこかに必ずあるとは思っていたものの、意外なところから出てきたので嬉しかった。思わずレコードプレーヤーを探し始めたのも、これがきっかけだ。

私の家には他にも古いレコードがあるという。父が好きなGenesisのアルバムや、母が好きな松任谷由実のアルバム。二人が結婚したとき、ロックしか聞いてこなかった父がたまたま松任谷由実の「ALBUM」という今ではサブスクでも聴けないなんともレアなアルバムを持っていて母がびっくりしたというエピソードが好きだ。

その話を在宅勤務をしていた父に話すと、「じゃあ探そか?」と返ってきた。暇だったらしく一緒にレコードが眠っている父の寝室へと向かった。「この辺のやつやなあ」と父は言いながら部屋の角に積まれたいくつかの白いダンボール箱を見る。「お、これこれ」と言って出されたダンボール箱を開けると、レコードが山のように積まれていた。父がレコードの山に手を伸ばす。一枚一枚短い解説を交えながらカーペットの上へと移動させる。「お!あったあった!」ユーミンの「ALBUM」が見つかる。思ったより上にあった。ジャケットにsampleと小さく赤字でプリントしてある。こういう仕様なのかな?と思いながら別のところへ置く。その下に「YUMING BRAND」も積まれていた。赤と青でブレたように描かれたジャケットの一部分が切り取られており、「ここに付いてた紙の眼鏡をかけるとジャケットが浮かび上がるんやで」と教えてくれた。それ私が小さい頃にも流行ったやつやん、と思った。

当たり前なのだが、昔のレコードは見たことのないデザインの物が多くて新鮮だなあ…と思いながら少し劣化してざらついた様々なミュージシャンのジャケットをうっとりと見ていたら、父が何かを持ってきた。埃だらけの黒いレコードプレーヤーだった。「一回鳴るか確認してみよか」ハンドクリーナーをリビングから持ってきて埃を取る。蓋を開ける。蓋が外れた。蝶番の部分が割れていたようだ。電源と赤白のコードをライン出力のできるオーディオに繋いだ。ユーミンのALBUMをジャケットから出す。青いラベル。プレーヤーに乗せて針を落とす。ドキドキした。

結果的に言うと音は出るがコードか針に問題があるらしく、許容できないノイズが乗るのと音がちぎれて聞こえるようだった。私たちは片付けをした後リビングに戻りパソコンでAmazonのホームページを開いた。パソコン画面を覗きながら「どんなやつがええんやろなあ、最近のやつはようわからん」と呟き、父は仕事に戻っていった。30分くらいのことだったが、自分や父の歳のことを考えるとこんな時間はもう二度とないのだろうなあと思ったらなんだかこの瞬間が愛おしかった。私はこのことを忘れないでちゃんと何かに残しておこう、と心に決めてこの記事を書くに至る。レコードの入った箱はもう一箱あるらしい。夏の間に一緒に探せたら嬉しいな。音楽は親子も繋ぐのだから素晴らしい。

 

先日胃カメラの検査を受けたが、異常は見られなかった。一安心した。「もし早期の胃がんとか言われていたらどうしようと思ったんや」と父は安堵の表情で夕食を食べながら言った。私は母方の祖母をがんで亡くした。母もその後がんになり治療をしていたこともきっと関係している。自分の親ながら優しい人だなあと思ったりする。こんな人を選んだ母はすごいなあとか、夫婦って素敵だなあとか、私はそんな素敵な結婚ができるのだろうかとか。

一生のうちで結婚というカードを行使できるかわからないので結婚の話はやめよう。別に私は失敗したとしても構わないが、相手のあることに今悩む必要はない。大丈夫、その時々で考えればいいさ。

少しずつ考え方が変わっていく。6年くらい前に書いていた個人サイトの記事があったことをなんとなく思い出してサイトの管理ページにログインする。パスワードもほとんど忘れていたがなんとか入れた。そこに繰り広げられていたのは精神不調との戦いだった。昔の自分のことなのだが、なんだか放っておけない印象を持つ。知人に公開していたわけではないが、私はこんなオーラを常に周囲に放っていたのかな…と思うとがっかりした。そりゃあ友達もできないぜ、と。だけど本当のことだから仕方がない。ありのままだったのだ。やはり自分の感情に嘘をつくのが苦手なのだな、と改めて再確認する。良く言えば素直。悪く言えば嘘がつけない。だが、嘘が苦手なら嘘をつかなければいい。嘘をつかなくてよい人と会えばいい。繕わなくてよい自分でいればいい。そんな感じはあかんか?

 

人は簡単には変わられへんからなあ、と思いながらPCの画面を眺める。たまたまあの部屋で見たような気がするロゴの入った物を見つけた。カラー展開を確認する。あ、多分これだ。あの部屋にあったプレーヤーだ。自分のiPhoneAmazonのアプリを開く。同じ物を探す。やっぱりこれだ。この優しいクリームがかった水色だ。私はその商品を自分のほしいものリストにそっと追加した。PCでログインしているのは母のアカウントなのだ。

あの部屋はただのあの部屋で、あのプレーヤーもただのあのプレーヤーだ。別に何もこだわることなんてないのに。「悲しみの終着点は歓びへの執着さ」あの曲の歌詞が浮かぶ。私にとって執着は最大の敵だ。早く捨て去れ、美しくない。そう言う誰かの声が心の中から聞こえてくる。私はこれらの声から自由になりたい。

梅雨前線が降らす雨は少し強くて、海からあたたかい風が上がってくる。その風は窓の網戸を揺らしてかたかたと音を鳴らす。仄暗い空は私の心模様に似ていた。

私はどんな答えが欲しい?どんなゴールが欲しい?ゴールの先にどんな景色が見たい?わからないから怖い、というのはもったいないからちゃんと自分に確認しよう。問いかけよう。自分のことを大事にしよう。そんな風に思い始めている夜。