投稿できなかった下書きたちを読んでいた。季節は冬から春へと変わりつつあり、着る服も変わっている。冬物の洗濯をしないとな、と思いながらも思うだけで日々は過ぎていく。
1月のいつか。昼間の空と夕暮れの間の色は何色なのだろうと思いながら電車の窓から遠い空を見ていた。普通電車は移動には適してないのかもしれないけれど、ゆっくり景色が見えるから好きだ。国道の向こう側には海がある。冬の寒々しい海も良い。今日の海は向こう岸までよく見える。風もあまり強くないみたいだな。ミルク色をした波の潮騒が薄く聞こえる。日曜日だからか出ている船は少ない。17時30分。だんだん日が長くなってきた。
良い映画を観た後のなんとも表現しづらい充足感が好きだ。誰かと観た後ならなおさらだ。
「良い映画だったね」と彼が言う。私はいつも二人で映画を観たとき彼の感想を待ってから、自分の感想を話すことにしている。何かを伺っているのではなく、純粋に自分の好きな人が同じ作品を観てどんな感想を抱くのかが気になる。「静かで良い映画だった」と私が続けると、彼は「穏やかな映画は安心して見られる」と言った。その通りだなと思って、なんだか私は彼をぎゅっと抱きしめたくなった。ここは劇場だから静かにしないと、と我に返り、平静を保ちながら外へ繋がっているエレベーターに乗った。
私たちは大体「何もしない」をする。カフェや喫茶店に入っても、会話ですごく盛り上がることはあまりないかもしれない。その日何を話したか帰り道では忘れていたりするほど、適当なことを話している。それでも楽しい。二人でいられるのは幸せだ。充分すぎる。
幸せが目に見えるなら、どんな色をしているだろう。時には自分の好きな色かもしれないし、時には見たこともないような色かもしれない。
幸せが目に見える形なら、どんな形をしているだろう。時には赤ワインのボトルみたいかもしれないし、時にはぬいぐるみみたいかもしれない。不確定なものだからこそ、幸せについて考えるとき、いろいろな物に当てはめて感情を流し込めるのかもしれない。人間に生まれてよかったことは、こういう楽しみ方があることだな。
その日は冬らしい、少し白を足した水色の空が広がっていて、そのせいかとても寒くて、新しくおろしたブーツが靴擦れして足が痛かった。帰り道、脱いで歩くか?と思ったくらいだった。
2月のいつか、また別の晴れた日。いつも聞いているラジオ番組で映画のチケットが当たったので、また映画館へ来ていた。この日見る映画は好きな漫画家の作品が原作だ。サスペンスやミステリーはあまり得意ではないけれど、楽しんで見られたらいいな。そんな風に思いながら電車に揺られていた。
電車に乗っているとき、Spotifyで前日に聞いていたodolの「飾りすぎていた」ソングRadioがなかなかに良かったことを思い出して聞いてみることにした。5年くらい前に聞いていた好きな曲が流れてきて嬉しくなる。よくこんな良い曲たちのことを忘れていたな、私は…と思うと少し申し訳ない気持ちになった。
私の5年前の音楽環境といえば、まだメインはウォークマンだった気がする。それも高校生になるかならないかくらいの時期に買ってもらった、タッチパネルがまだ新しかった頃のピンク色のウォークマン。今もまだ充電すれば動くことは動くのだけど、現役だったときと比べると電池が劣化しているようで動ける時間がものすごく短くなった。全く動かないよりかはまあいいのだけど。
そんなことを思い出していたら、SoundCloudのlike tracksが気になったので見てみることにした。昔よく聞いていた曲がたくさんある。大好きだった人に会うために待ち合わせの改札の前で聞いていた曲ももちろんそのままあった。「sakanaction cool remix」というダサいタイトルがつけられたプレイリストを覗くと、当時の自分が見えるようでなんとなく嬉しかった。
久しぶりにサカナクションの「ルーキー」が聴きたくなった。ライブでのライティングが大好きな曲。ライブ、行きたいなあ。
都会へ来たのに、私たちはいつもと同じことをしている。
昼ごはんを軽くいただいてから映画を見た。眠くなるかもしれないと心配していたけれど、内容的にうとうとするような穏やかな話ではなかったのでそれはそれでよかった。温度が高くて何も起こらない平和な映画も好きだけど、たまにピリッとした作品も見たくなる。
見終わった後いつも通り少しずつ感想を言い合って、「似た雰囲気ならもっとすごいスプラッター映画があるよ」なんて冗談を聞いた。正月から映画館に足を運ぶような映画好きが、私みたいなライトな映画ファンのリクエストした作品をよく一緒に見に行ってくれるよなあ、と毎回思う。感謝しなければね。
少し長い帰り道、いつもの駅から電車に乗る。たまたま快速が来ていたので飛び乗った。今日の夕暮れはカクテルのテキーラサンライズみたいで綺麗だな。日が長くなってきた。多分前回の映画の日よりも、きっと。17時48分。まだ家は遠い。
今夜見る夢はスプラッターかもしれないな、と思いながらみるみるうちに暗くなっていく空を見ていた。電車の窓ガラスに自分が映って、なんだか恥ずかしくなる。景色を見ているような、自分を見ているような。
イヤホンで耳を塞いでいると、景色を見ていなければ駅がわからなくなる。夜になると余計だ。
そしてまた別の3月の雨の日。私たちはアニメーション作品の最終作を観ていた。終劇していくのを、155分間、見守っていた。
雨が小刻みに降る帰り道、携帯電話が小さく震えた。「一緒にこの作品を観られると思ってなかったから、嬉しかった」とメッセージに綴られていた。胸に携帯電話を当てて、そっと微笑んでしまった。このアニメーション作品は何年も続いているお話だったから、ちゃんと作品に追いついた上で、劇場で一緒に終わっていくのを見れたのがよかったな。
続けて何日間かでまとめて作品を追って観たこともあって没入感は強かった。グロテスクな場面も多く感じたしそんなシーンを思い出して晩ご飯が食べられない夜もあった。劇場版2作目を観た直後の晩ご飯にエルボーマカロニのサラダが出てきて、おいおいちょっとこれは食べられへんよ…と思いながら一口、二口、といただいていたのはなかなかに自分でも面白かった。(バラバラになった赤い機体を本部が集めるシーンで映りこむ機体のあばら骨がエルボーマカロニに似ててね。)なんとも自分は良いところでも悪いところでも感性の強い人間だなあと思って、なんだかちょっとホッとした。私の感性、まだ生きとるなあ、と思った。
他愛ないことでも、こうして書き起こして残しておくと、あとになって少しは思い出せるから、文章を書くのは好きだ。やめられない。やめるべきではないな。季節の移り変わりを経て、人生は進んでいく。
はてなブログやnote、音楽活動など何かしらのURLが溜まってきたのでまとめページを作りたいところだなあ、と思うだけ思いながら良い方法がなくて足が止まる。まあこんなもんでもいいのかな。
最近、前向きになることによって人生は別に暗いものでもないな、と思えるようになってきた。肉体活動だけが素晴らしいのではなくて、精神活動も大切だよな、という話。心と身体は繋がっている。そして身体は一人一つずつしかない。大事にしないとね。大事にしてくださいね。
2日前、家の階段で転けて両脚のスネに青あざを作ってしまった。それが今もまだずっと痛い。風呂に入ったとき、さすってみるけどやっぱりちょっと膨らんでいる。転けてスネに青あざを作るだけでこれだけの反応なのだから、死ぬとなったら身体中めちゃくちゃ痛いのだろうなと想像してしまう。
今まであれだけ死にたい死にたいと言って生きてきたやつがこんなことを言っているのはアホかもしれないけれど、今更死んでも誰も何も面白くないし、私は今を生きます。走ります。たまに歩いて、振り向いて、また前を向く。そんな感じの繰り返しで、いいよね。
引き続き、生きます。頑張る。